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8月12日(金) 晴れ バジェ・グランデ→イゲラ村→バジェ・グランデ(120km)
午前7時に起きて早朝のバジェ・グランデを散策。
9時半から、ゲバラに最後の食事を提供した元小学校の先生にインタビュー。1968年当時19才だった彼女は、つまり私と同い年の56才。ゲバラと出会えたことは、自分の人生で最大の出来事だったと昔を振り返ってくれた。
その後、険しい山道を二時間走ってイゲラ村へ。ゲバラが射殺されたその部屋に入り、ゲバラが最後に見た風景を自分の目で確かめる。
幾重にも重なるアンデスの山並み。その荒々しい斜面にへばりついたような、人口105人のイゲラ村。のんびりと草を食むロバ、腹這いで眠る豚、鳥のさえずり・・・。この、眠たくなるように静かで平穏な風景の中にいて、ゲバラは最後に何を想ったのだろう。
バジェ・グランデに戻り、ゲバラが30年間埋められていた場所へ。そこは発掘当時(1998年)のままの状態で保存されており、世界中から訪れた者たちの落書きで柱や壁は埋め尽くされていた。ゲバラが、世界中の人々の中で今も生き続けていることを実感する。
ファニータの宿の台所を借り、親子丼をつくる。喜んだファニータがアコーディオンで歌い始めた。ファニータは、小学校の音楽の先生だったのだ。バジェ・グランデの歌が、星を散りばめた夜空に昇ってゆく。ゲバラも、この歌を聞いているだろう。
8月14日(日) 晴れ チモーレ→コチャバンバ(220km)

午前7時発。道端の屋台でコーヒーと揚げパンの朝食。

60kmほどでアンデスへの上りが始まる。途中、工事のために片側通行になっていて、延々待たされる。さらに、やっと走り始めたら、これがひどい道。トラックやバスが巻き上げる土埃を吸いながら走る。何が新しい道だ。まったく、ボリビアの道に安心はない。
一気に3500mまで上り、次には1000m下って標高2500mのコチャバンバへ。
コチャバンバまでの220kmに5時間かかった。つまり、平均時速は40kmほど。これが、ボリビアのメインルートである。

コチャバンバのレストランで昼食をとって出発しようとしたら、民族衣装を着てうろうろしている人々を薄井が発見。聞けば、隣町で大きな祭があるという。祭の名は「ウルクピーニャ」。ウルクピーニャという名の山にマリアが現れたことを祝い、全国から集まった78のチームが、3日間にわたって踊り狂うという。早速予定を変更して、コチャバンバに泊まることにする。

宿に入り、隣町へ。予想以上に大きな祭らしく、メインルートは遮断され、無数の出店の間に沢山の人々が溢れている。
各々特徴のあるチームが狭い街路を歌い踊りながら練り歩くのだが、そこに辿り着くまでが大変。激しく動くと少し息が苦しくなる。そう、ここは標高2500m。
演奏し、歌い踊りながら練り歩く人々のエネルギーに圧倒される。いわゆるアンデスらしい、フォルクローレのグループ。フォルクローレよりもっとプリミティブなアウトクトナのグループ。スペイン統括時代の牧場主や農園主たちの踊りのグループ。そして、「ディアブラーダ」と呼ばれる、不気味にして華麗な仮面のグループ・・・。なんといっても、祭の花は、この「ディアブラーダ」。スペイン人によって「悪魔(ディアブロ)」にされた神々は、しかし元々は鉱山労働者たちの守護神。年に一度か二度地底から現れて、思い切り踊り狂うというわけだ。鉱山の国、ボリビアならではの神々である。
夜が更けるにつれて祭は熱気を帯び、沿道を埋め尽くす人々も踊り始め、あちこちでケンカも始まる。そして、この狂乱が3日続くという。

感情を表に表さず、どちらかというとネクラなボリビア人のイメージがくつがえされた夜。ボリビアは奥が深い。それにしても、よく歩いた1日。

■ウルクピーニャ
     
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