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| 果てしなき田舎町 |
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| 今回の出発地は、「北の田舎」といわれるクイーンズランド州のブリスベン。しかし、ここが田舎なら、これから向かう南オーストラリア州や西オーストラリア州、ノーザンテリトリーは、一体なんと言えばいいのだろうか。ブリスベンから西南への道は、若干の山越えの後、丘陵地帯、森林、牧場地帯が続いている。360km地点で宿泊することにしたが、夜空に満月、空の端に南十字星、冷たい闇の中で物音もなし…。出発一日目ですでにド田舎だ。翌日泊まった町の宿には、「この町の夜」という説明が書かれた、ただただ真っ黒な絵葉書が売っていた。 |
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| どこまでも続く平原 |
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| アデレードを出発し、鉄鋼石産出地や穀倉地帯を走り抜け、大陸の南岸に広がる茫漠たる荒地・ナラボー平原へ。アボリジニ居住区で、大陸をななめに横断する5,500kmものディンゴ・フェンスを撮影する。牧羊業者が野生化した犬(ディンゴ)の侵入を防ぐため作ったものだが、このためにカンガルーら動物の生態系のバランスが崩れて問題点になっている。その後、オーストラリア最長の90kmの直線道路へ。東京から熱海の手前までに相当する、何も変わらない景色のなかを、ただひたすら走り続けた。平原を抜けると、大陸西岸の都市パースへたどり着いた。 |
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| 最大の難所へ |
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| 900の砂丘が行く手を阻む全長1,600kmの無人のトレイル、キャニング・ストックルートは、古い井戸と泉が数箇所あるのみの難所。 ブルダスト(ふかふかの赤土の粉)、砂丘、沼、川などがある上、数週間前に数十年ぶりの大雨がその地を襲っていた。走破まで1週間の予定だが、どうなるかは天気しだいだ。ルートの手前で、町の警察にルートに入ることを報告。出発と到着の報告は義務で、これを怠ると遭難したとみなされ、飛行機やヘリで捜索されることになる。入り口付近で、男4人がバイクを走らせ、女ふたりでサポートトラックを転がすオランダ人に出会った。1ヶ月のバケーションだとか、大人の男女は遊び方が格好いい。 |
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| 砂丘越え |
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| キャニング・ストックルートでは、赤い砂の砂丘を一気に駆け上り、落ちるように砂の谷に下ることの繰り返し。低いと約5m、高くて10数mの砂丘が折り重なり、巨大な砂の壁となって地平線まで延々と続く。全身の筋肉が突っ張り、腕や腰が硬く、節々が痛かった。砂にフロントをとられて転倒。一度転倒すると、重いバイクを起こすことで、また体力を消耗してしまう。夜に腰をマッサージしてもらい、腕には自分で針を打つ。苦労しながら砂丘地帯を抜け、平原地帯へ。ものすごいスコールで辺り一面が水浸しになったが、翌日には走れるようになっていた。メンバーの協力で、9日間にわたるこの旅最大のヤマ場はなんとか乗り越えられた。 |
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| 大陸最深部へ |
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| 大陸最深部を斜めに横断してアリス・スプリングスへ向かい、救急飛行隊と無線学校を取材した。どちらも広大なアウトバックに人が点在して生きるオーストラリアならではのシステム。体を張って土地に根付いて生きている人々と出会うと、通過していくだけの旅人の軽さを改めて突きつけられるような気分になる。また、アボリジニ最大の聖地ウルルで、エアーズ・ロックに登り、地球が丸いことを実感した。プレンティ・ハイウェイを通って東部へ。ブリスベンの出発時に滞在したモーテルへ行くと、主人夫婦が温かく迎えてくれた。ささやかな歓迎ほど心にしみる。埃と汗にまみれ、へとへとになって帰ってくる私たちを見るのは、いつもごくわずかな人なのだ。 |
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| 戸井十月公式HP・旅日記より抜粋 |
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